「彼女の告白」
真琴は珍しく行きたいお店があるって言いだした。いつもなら何食べる? どこ行く?なんていう会話が二人の間では当然だったのに。
「ねぇ、行きたいお店があるんだけど」
「え?いいけど、どこ?」
「駅前の居酒屋さん」
二人が初めて会ったお店だった。
どこにでもあるチェーンの居酒屋。おしゃれでもないし、料理が特別に美味しいわけでもない、普通のお店。
どうして、真琴が急にそんなことを言いだしたのかはわからなかった。(たまにはそんな気分になることもあるか)なんて、軽く考えていたオレ。
いつものように横を歩く真琴と手をつないで、夕暮れの道を歩く。
ただ、ちょっとだけ違ったこと。それは、つないだその手が、いつもより少しだけ強くオレの手を握り締めていたこと。
目の前で真琴は楽しそうに色んなことを話してくれる。
会っていない時間、どんなふうに過ごしていたとか、今日会社に来たお客さんがどれくらい特徴的だったとか。
そして、オレはそんな真琴を見るのも、話を聞くのも大好きだった。
しばらく、いつものように二人の時間を楽しんだあと、何気なくオレは聞いた。
「最近のお見合い、どう?」
自分にとってこれ以上ないほど衝撃的な答えが返ってくるなんで、思いもせずに。
(まだわからないかな)
そんな返事をどこかで想像していた。ジョッキのビールを飲みながら真琴の言葉を待つ。
二人の間に言葉と音が消えた数秒間。
ふと視線を上げる。真琴はオレの顔を真っすぐに見つめていた。
「ゆうき、あのね。私、入籍しちゃったんだ」
その言葉を聞いたとき、オレの全身が一瞬で凍りついた。
なんで? どうして?
そんな感情すら湧いてこない。
(真琴・・・何言ってるの? どういうこと?)
そんなふうに思えたのは、数秒後。でもその数秒はとてつもなく長く感じたた数秒。
そして、真琴の言葉をようやく理解できたと同時に、オレの心臓が張り裂けるかと思うほどに波打った。
「え? 入籍って結婚したってこと?」
「うん」
オレは何も言えなかった。いいや、言いたいことも聞きたいことも山ほどあったけれど、言葉でにできなかった。
しばらくして、真琴がゆっくり話し出した。
「ごめんね、どうしてもゆうきに言えなかった。お見合いしてる人の中で、いい人がいたんだ。好きとか愛してるとか言う感情じゃなくて、この人となら結婚してもいいって思えた人・・・」
オレは真琴の話を、そのまま聞き続ける勇気がなかった。だから、この場からすぐにでも立ち去ってしまおう、テーブルの上の空になった皿を見つめながら、そう思った。
「あなたは優しすぎるから」
ゆ う き・・・
席を立とうとしたオレの耳に聞こえてきたのは、聞きなれたその声。
瞬きひとつぜずに、大粒の涙を流し続ける真琴はオレ顔を真っすぐに見つめていた。
そして、その顔はかすかにほほ笑んでいるようにも見えた。
このまま立ち去ることなんてできないって思った。
「すごく苦しかったんだよ。ゆうきといる時間が楽しすぎたから」
「うん」
「でもね、私は結婚したかった」
オレはこの時、初めて真琴がそうまでして結婚にこだわった理由を知ることになる。
真琴が自分の両親を知らずに育ったということ。
大好きな人と家族になりたかったこと。
そして、真琴が何よりも手に入れたかったのは家族というカタチの愛だということ。
オレは真琴の話を聞きながら、下を向いて泣くことしかできなかった。テーブルの上、水たまりができるほど涙があふれ続ける。
「ゆうきは優しすぎるくらい優しい人。だから、ずっと一緒にいられたら、きっと私との結婚だって考えてくれたと思うの。でもね、その優しさが私にとっては残酷だったんだよ」
オレは真琴から残酷だなんて思われてたんだ。
「私の気持ちを無視なんてできないでしょ?ゆうきは」
(そうだよ、いつも真琴のことを一番に考えてた)
「でもね、結婚したい私の気持ちを知りながら、ゆうきが結婚を考えるまで恋人で我慢させるなんてこと・・・できる?」
そう言われてハッとした。
(オレってバカだ。真琴が本当に望んでいた未来を今になって気がつくなんて、とんだ大バカ野郎。ずっと、真琴はサインを出してくれていたじゃないか! オレは真琴のことを一番に考えてるなんて思ってけど、全然逆だった。最優先していたのは、勝手な自分の気持ち。最悪だ・・・)
でも、すべてが手遅れで、なにひとつ巻き戻すことなんてできない。
「ごめんね。黙って入籍しちゃって。だけど、それを隠してゆうきと付き合うなんてできないから」
何も言えなかった。
沈黙が二人を包み込むなか、オレは真琴にこんな質問をした。
「いい人?」
「うん、いい人。結婚相手としてね」
その答えが、オレの心に深く突き刺さった。まるで錆びた刃物が、ズブリとめり込んでくるように。
お店を出るころには降っていた雨も止んでいた。
オレは真琴の手を握り、駅まで歩いた。
これからどうしようなんて考えることもできなかった。
わかっていたのは真琴は結婚してしまい、オレはそれを黙って見ていた。
ただ、それだけ。
連絡を取り合うとか、結婚しても付き合うとか。きっとそれは真琴が望む未来じゃない。
それがわかっているから、お互いにこれからのことなんか、話しても仕方がない。
改札口でいつものように、真琴の後ろ姿を見送る。こんなことも最後かもしれない。
でも、もしかしたら・・・
ゆっくりと離れていく真琴の後ろ姿。いつもなら、階段の手前で振り返って手を振ってくれた彼女。
真琴は振り向かずに小さく手を挙げた。
オレはその姿を見てから、クルリと向きを変えて歩き出す。
一人で帰る電車の中。一通のラインが届く。
嘘でもいいから、ずっと一緒にいたいって言って欲しかった。
私は嘘だって知ってても、その言葉を信じたと思うよ。
バーカ!
だけど、ありがとう。
大好きだよ、ゆうき。
真琴
電車の窓から見えた夜空には、マカロンみたいな黄色い満月が顔を覗かせていた。
fin
もうひとつの未来へ・・・